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無知の玉手箱
~知らないから始まるマーケティング~


ニデックの永守重信氏が、不正会計の責任を取る形で名誉会長の辞任を発表し、経営から一切身を引くことになりました。

長年、日本を代表する経営者として知られてきた人物だけに、このニュースに驚いた方も多いのではないでしょうか。

永守氏の経営哲学は「永守イズム」として広く知られ、多くの書籍にもなっています。私自身も何冊か読んできましたが、非常に多くの学びを得ました。経営者になる前に読んだものもあれば、経営者になってから改めて読み直したものもあり、会社を成長させるためのヒントが詰まっていると感じています。

実際、私もその考え方に影響を受け、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」という方針を参考にして、「すぐやる、なんでもやる、儲かるようにやる」という行動指針を定めました。

 

永守氏の経営スタイルは、強い信念と圧倒的な行動力に支えられていました。その結果として、ニデックを世界的企業にまで成長させたことは、まさに尊敬に値しますし、簡単に真似できるものではありません。

ただし、その哲学がすべての局面で機能し続けるかというと、そうではないのかもしれません。

「すぐやる」「必ずやる」は、自分の意思でコントロールできる要素です。

しかし「できるまでやる」は、必ずしも自分の努力だけで達成できるとは限りません。

創業期のベンチャーであれば、「やればできる」という成功体験が積み重なり、強い推進力になります。

しかし、企業規模が拡大し、世界企業となった段階では、同じ考え方がそのまま通用しない場面も増えてきます。

 

例えば、創業時には売上を倍にすることが現実的な目標だったとしても、現在の規模で同じことを求められれば、現場の社員から見れば「無理を言われている」と感じる場面も出てきます。

それが絶対的な創業者からの指示であれば、「できません」と言うことは難しくなります。

結果として、現場では何とか辻褄を合わせようとする動きが生まれ、それが不正につながるリスクも高まります。

「できるまでやる」は、チャレンジの場面では強いモチベーションになりますが、状況によってはプレッシャーとなり、場合によってはパワハラ的な圧力として受け取られることもあります。

この状態が続けば、「できない」と言えない組織が出来上がってしまいます。

そしてその結果として、不正会計のような問題が生まれてしまったと考えることもできるでしょう。

 

「できるまでやる」という方針自体は、決して間違っているわけではありません。

問題は、それを支える仕組みが十分でなかったことかもしれません。

例えば、

  • できなかった場合は正直に報告する 

  • なぜできなかったのかを徹底的に分析する 

  • その情報を社内で共有し、次の改善につなげる 

といったプロセスが機能していれば、同じ方針でも違う結果になっていた可能性があります。

人はプレッシャーをかけられ続けると、自信を失い、判断力も鈍ります。

その結果、モチベーションが下がり、組織全体のパフォーマンスも低下してしまいます。

 

永守氏ほどの経営者であれば、こうしたリスクに気づいていた可能性は高いと思います。

それでも今回のような事態に至った背景には、周囲がイエスマン化し、必要な情報が上がってこなくなっていたこともあるのではないでしょうか。

報告書にもある通り、最終的な責任は経営トップにあります。

それは間違いありません。

だからこそ、今回の件は、優れた経営者であっても避けられない難しさを示しているとも言えます。

 

経営者として、目標達成に向けてプレッシャーをかけることは必要です。

これは実際に経営をしていると強く実感する部分でもあります。

しかし、そのプレッシャーによって正しい情報が上がってこなくなることは、絶対に避けなければなりません。

この「成果を求める厳しさ」と「情報の透明性」を両立させることは、言うほど簡単ではありません。

むしろ、非常に難しいテーマです。

永守氏のような卓越した経営者であっても、そのバランスを取り続けることは容易ではなかった。

そう考えると、この問題はすべての経営者にとって他人事ではないと感じます。

 

今回の出来事は、単なる経営問題ではなく、PRの観点から見ても重要な示唆を含んでいます。

企業がどれだけ優れた理念や哲学を掲げていても、それが現場でどう受け取られ、どう運用されているかによって、企業の評価は大きく変わります。

そして、組織の内部で起きていることは、最終的には必ず外部に伝わります。

企業のPRとは、単に良いイメージを発信することではなく、実態とメッセージを一致させることに他なりません。

 

今回の件は、尊敬していた経営者であっただけに、非常に残念に感じています。

しかし同時に、経営と組織、そしてPRの難しさを改めて考えさせられる出来事でもありました。

この教訓をどう活かすかが、これからの経営に求められているのだと思います。

 
 

~原子力PRを9回書いて見えてきた「本質的な問題」~


これまで9回にわたり、原子力発電のPRについて書いてきました。当初は2、3回でまとめるつもりでしたが、問題があまりにも複雑で、一つの結論にたどり着くことができませんでした。

再生可能エネルギーのコスト、安全性、核のゴミ、立地地域、電力需要、エネルギー政策――。それぞれが絡み合い、どの観点から語っても必ず別の論点が立ち上がってくるからです。

改めて感じたのは、反対派と推進派が同じ土俵で議論できていないという現実です。

 

例えば、推進派が日本の電力事情や経済成長の観点から原子力の必要性を説明しても、反対派は安全性の問題を持ち出します。

逆に、安全対策を強化していると説明すれば、今度は核のゴミの問題が提示される。

どの論点も重要です。しかし、議論の前提がそろっていないため、結論にたどり着くことができません。

この構造のままでは、PRの手法を工夫しても限界があります。メッセージ以前に、社会全体で共有すべき前提が整理されていないのです。

 

今回、9回にわたって考えを整理する中で、原子力発電をめぐる本質的な課題が少し明確になったように思います。

① 政府の責任の所在を明確にすること

日本のエネルギー政策として原子力を進めるのであれば、政府が明確に責任を持つべきです。

万が一大きな事故が起こった場合、民間の電力会社だけで責任を負うには限界があります。であれば、原子力は国家的な政策事業として、国が前面に立って進めるべきではないでしょうか。

責任の所在が曖昧なままでは、国民の信頼は得られません。

② 「事故は起こり得る」という前提に立つこと

福島の事故を経験した日本において、「100%安全」という言葉は説得力を持ちません。どれだけ安全性を説明しても、完全な信頼を得ることは不可能です。

だからこそ、事故は起こり得るという前提に立ち、その際に被害を最小化する仕組みをどう作るのかを示すことが現実的です。

これは感情論ではなく、信頼を積み上げるための姿勢の問題だと思います。

③ コストと負担を正面から説明すること

日本の経済成長を支えるためには、安定した電力が不可欠です。その電力をどう確保し、どの程度のコストを国民が負担するのか。

再生可能エネルギーのコスト、再処理の費用、廃炉の負担――

それらを含めて正直に提示し、その中で原子力がどの位置にあるのかを示さなければなりません。

「安い」「必要だ」といった抽象的な説明ではなく、理にかなった費用構造を明示することが不可欠です。

 

この三点が整理されない限り、いくら議論を重ねても、同じ土俵での議論は成立しません。

そして、その状態でPRを行えば、理解が深まるどころか、かえって混乱を招く可能性があります。

原子力のPRが難しいのは、単に伝え方の問題ではなく、政策の軸が明確になっていないことに起因しているのだと感じています。

 

正直に言えば、原子力についてこのコラムで書くことには、少なからず抵抗がありました。

考えの違う方から誹謗や批判を受けるかもしれない。自分の表現が誤解を招くかもしれない。そもそも、自分がエネルギーや原子力について十分な知識を持っているのかという不安もありました。

誤った情報を発信してしまうリスクもゼロではありません。だからこそ、できるだけ丁寧に、事実に基づき、考えを整理してきたつもりです。

しかし、もう一つ難しい問題があります。

それは、エネルギー政策が一般の国民にとって、必ずしも強い関心の対象ではないということです。

電力が止まれば困る。エネルギーは生活を支える基盤である。その点については、誰も異論はないでしょう。

けれども、「では、その電力をどうやって生み出すのか」「どのエネルギーを選択するのか」という問いに対しては、日常的に深く考える人は多くありません。

ここに、原子力PRのもう一つの難しさがあります。

知識が必要なテーマでありながら、強い関心を持たれにくい。

議論は感情的になりやすいのに、前提となる情報は共有されていない。

この状況では、いくら理屈を積み重ねても、社会全体の認識はなかなか醸成されません。

それでも、エネルギーのあり方は、私たちの生活、産業、未来を左右する極めて重要なテーマです。関心が薄いからといって、避けて通れる問題ではありません。

今回、9回にわたり原子力について書いたことで、私自身の考えも整理されました。賛成・反対を単純に分けるのではなく、どの前提に立つのかを明確にすることの重要性を改めて感じています。

今後、原子力政策がどの方向に進むのか。もし大きな転換があれば、またこのコラムで取り上げたいと思います。

議論を避けるのではなく、感情だけに流されるのでもなく、生活を支えるエネルギーについて、少しでも多くの人が考えるきっかけになれば幸いです。

 

 
 

~「わかりやすさ」を最優先に考えるPRの基本~


仕事の資料や新聞記事を見ていると、アルファベットの略語やカタカナ語を頻繁に目にします。

Xの投稿や紙資料、媒体など、文字数やページ数に制限がある場合、こうした表現は非常に便利です。限られたスペースの中で情報をコンパクトに伝えられるため、PRの現場でも多く使われています。

 

しかし、ここで注意しなければならないのは、その言葉が本当に相手に伝わっているかどうかです。

略語やカタカナ語が一般的かどうかは、人によって大きく異なります。

例えば「AI」という言葉は今や広く使われていますが、それが「Artificial Intelligence(人工知能)」の略であることを、正確に理解している人がどれだけいるでしょうか。

特に、経営用語やIT用語の略語は、その業界の人には当たり前でも、そうでない人にとっては意味が分からないことが多くあります。

 

現在はスマートフォンで簡単に意味を調べることができます。そのため「分からなければ調べればいい」と思うかもしれません。

しかし、PRにおいてはこれは通用しません。

なぜなら、PRの目的は「相手に理解してもらうこと」だからです。

わざわざ調べないと分からない文章は、その時点で“伝わっていない”と考えるべきです。

 

私がプレスリリースを作成する際に意識しているのは、略語は必ず最初に説明するということです。

例えば、

MBA(経営学修士:Master of Business Administration)

このように、略語・日本語・英語をできるだけ併記します。

スペースの関係でどちらか一方になる場合もありますが、重要なのは「記者が一読して理解できること」です。

また、その後も頻繁に登場する場合は、最初に正式名称+略語を記載し、以降は略語を使う方法が有効です。

 

一方で、略語にはもう一つの使い方があります。

それは、ターゲットを絞るためにあえて使うという方法です。

例えば、機械業界のエンジニアや営業担当者が日常的に使っている略語であれば、それを使うことで、

  • 対象外の人には届かない 

  • 対象者には強く刺さる 

という効果が生まれます。

つまり、略語は分かる人にだけ伝えるためのフィルターとしても機能するのです。

 

略語以上に注意が必要なのが、カタカナ語です。

「コンプライアンス」のように一般化している言葉であれば問題ありませんが、まだ浸透していない言葉を、

  • なんとなくかっこいいから 

  • 知っていることを見せたいから 

という理由で使うのはおすすめできません。

対面であれば補足できますが、プレスリリースのように不特定多数に向けた文章では、理解されない可能性が高くなります。

 

プレスリリースを作成する際に最も重要なのは、相手の立場に立って、分かりやすく伝えることです。

略語やカタカナ語は、使い方次第で強力なツールになります。しかし、それはあくまで「伝えるための手段」であり、目的ではありません。

「知っていることを見せたい」ために使うと、かえって伝わらなくなる――これはPRでは逆効果です。

PRとは、

自分が伝えたいことではなく、相手が理解できる形で伝えること。

その原点を忘れずに、言葉選びをしていくことが重要です。

 
 

著者・橘川徳夫 プロフィール

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中央大学経済学部卒業。大学時代は、落語研究会に所属するほどの話好き(うるさいというのが周りの評価?)。座右の銘は「無知の知」。大学卒業後、電力会社や生命保険会社での勤務を経て、2001年ウインダムに入社。過去の様々な業務経験を活かして、PR業務に携わってきた。

落語研究会で養った自由な発想をもとに、様々なPRやマーケティング企画を立案。業務を通して蓄積した広範な業務知識をベースに、独自のPRコンサルティングがクライアントに好評を博している。趣味はランニングと読書。本から新たな知識を見つけたり、ランニング中にアイデアを思い浮かべる。

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