top of page

無知の玉手箱
~知らないから始まるマーケティング~


ウインダムでは、人気アニメの展覧会のPRを担当することがあります。

先日、たまたまそのアニメが大好きだという若い人と仕事をする機会があり、「展覧会のPRに関われてうれしい」と、とても喜んでもらえました。

その人と話をしていて驚いたことがあります。

そのアニメは映画化もされているのですが、なんと同じ映画を5回も観に行ったというのです。

私は、同じ映画を2回観ることすらほとんどありません。テレビで以前観た映画が放送されていても、もう一度観ようとはあまり思いません。

読書も趣味ですが、一度読んだ小説をもう一度読むことはほぼありません(ビジネス書などは別ですが…)。

ストーリーが分かっているものを何度観ても、何度読んでも結果がわかっているので、つまらないのではないかというのが私の感覚だからです。

 

ところが、その人の話を聞いていると、何度も観る理由が少し分かってきました。

いわゆる「推し」がいる人たちは、単にストーリーを楽しんでいるだけではありません。

「あの場面は、後のこの場面への伏線だった」「背景にこんなものが描かれていた」「このセリフには別の意味があるのではないか」など、作品の細部まで観ているそうです。

そして、自分が発見したことや気づいたことを、同じ作品が好きな人たちとSNSなどで共有します。

誰かの投稿を見て「そんなところまで観ていなかった」と思えば、もう一度作品を観て確かめたくなる。さらに新しい発見があれば、それをまた誰かに伝えたくなる。

なるほど、それなら同じ映画を5回観ることも理解できます。

私にも似たような経験があります。

例えばドラマを普通に観ていて、後から情報番組やネットなどで「あの場面にはこんな意味があった」「以前のシーンがここにつながっていた」と解説されると、「そんなところまで全く気づかなかった」と思うことがあります。

作品は一度観れば終わりではなく、「発見する」「考察する」「誰かと共有する」ことまで含めて楽しむものになっているのでしょう。

 

これはPRを考えるうえでも非常に興味深いことです。

かつては、できるだけ多くの人に知られている「国民的人気」の作品ほど、展覧会などでも集客しやすいと考えられていました。

もちろん知名度は今でも重要ですが、必ずしもそれだけではないようです。

幅広く知られている作品より、ファンの絶対数はそれほど多くなくても、非常に熱量の高い「推し」を持つファンがいる作品のほうが、何度も会場を訪れたり、グッズを購入したり、SNSで積極的に情報を発信したりすることがあります。

つまり、「何人が知っているか」だけではなく、「どれだけ強く好きな人がいるか」も大きな価値になっているのです。

しかも、推し活をする人たちは単なる消費者ではありません。

自分で作品の魅力を見つけ、それを発信し、別のファンが共感して、さらに情報が広がっていく。ある意味では、ファン自身がPRの担い手になっているとも言えます。

 

私は、いわゆる「推し活」をした経験がほとんどありません。

そのため、「なぜ同じ映画を5回も観るのか」というところから理解しなければならなかったわけですが(笑)、今回話を聞いたことで、今の消費行動について少し分かったような気がします。

PRする側が「この作品は人気があります」「こんなに面白い作品です」と一方的に情報を発信するだけでは、推し活の熱量を十分に生かすことはできません。

ファンは何に魅力を感じ、何を発見したくて、何を誰かと共有したいのか。

そうした「推す人の心理」まで理解してPRを考えることが、これからますます重要になるのでしょう。

今や「推し」は、消費だけでなく情報まで動かす存在になっています。

となると、マーケティングやPRに携わる人間も、推し活について勉強するだけでは足りないのかもしれません。

 

マーケティングに携わるなら、一度くらい夢中になれる「推し」を見つけてみたほうが、今の消費者心理を理解する近道になるのかもしれませんね(笑)。

 
 

 消費税減税から考える政治のPR


高市内閣は今月、飲食料品にかかる消費税率を引き下げる方針を決定しました。

これは昨年の衆議院議員選挙で掲げた、食料品の消費税負担を軽減するという公約を実現するための政策です。

選挙で公約を掲げ、その選挙に勝利したのですから、公約の実現に向けて動くこと自体は当然のことだと思います。

 

ところが、今回の政策に対しては野党やメディアから多くの疑問が投げかけられています。

昨年の選挙では、与野党の多くが消費税の減税や廃止を公約に掲げていました。それにもかかわらず、政府が実際に税率を引き下げようとすると反対意見が出てくるのですから、「では選挙の時に掲げていた公約は何だったのか」と思ってしまいます。

 

今回の報道を見ていて気になるのは、消費税率の引き下げを「選挙公約の実現にこだわる高市総理」という、比較的分かりやすい構図で捉えていることです。

確かに、ニュースとしてはその方が伝わりやすいでしょう。

しかし、本来議論しなければならないのは、「公約を守るか、守らないか」だけではないはずです。

消費税率を下げれば、その分だけ商品の税込価格を引き下げる効果が期待できます。その意味では、物価を下げるための非常に分かりやすい政策です。

ただ、経済はそれほど単純ではありません。

消費税率を下げることで一時的に物価負担が軽減されたとしても、そのための財源をどうするのかという問題が生じます。

財政への懸念が強まれば円安や金利などに影響する可能性もあり、それが再び物価に跳ね返ってくることも考えなければなりません。

さまざまな要素が複雑に絡み合っているのが経済ですから、「消費税を下げれば物価高対策になる」と単純に結論づけることはできないと思います。

 

もう一つ、野党などから指摘されている「2年後に本当に税率を元に戻せるのか」という問題もあります。

一度下げた税率を上げるとなれば、当然、国民から反発が起こるでしょう。

政治家にとって選挙を考えれば、「消費税を下げます」と言うことは比較的簡単ですが、「消費税を上げます」と言うことは非常に難しいものです。

そう考えると、2年間の時限措置として始めたものが、本当に予定通り終了できるのかという疑問が残ります。

さらに長期的に考えれば、少子高齢化が進み、社会保障費などが増えていく日本で、消費税収を大きく減らしたまま財政を維持できるのかという議論も避けて通れません。

だからこそ、本来は「今、物価を下げるためにどうするか」だけではなく、5年後、10年後の日本経済や財政まで考えて議論する必要があります。

 

もちろん、政治家が選挙公約を守ることは重要です。

しかし、選挙の時と経済状況や国際情勢が変わったのであれば、公約を修正することがあってもいいと思います。

その場合は、「なぜ変更するのか」を国民にきちんと説明すればいいのです。

反対に、公約を実行するのであれば、「選挙で約束したから」だけではなく、現在の経済状況でもなぜこの政策が必要なのか、その財源をどうするのか、2年後にどうするのかまで説明する必要があります。

野党についても同じです。

自分たちも選挙で消費税減税を掲げていたのであれば、政府案に反対するだけではなく、「自分たちの減税策とは何が違うのか」「今でも減税が必要だと考えているのか」を説明してもらいたいと思います。

 

ここにPRの難しさがあります。

PRでは、難しいことを分かりやすく伝えることが重要ですが、「分かりやすく伝えること」と「複雑な問題を単純化すること」は違います。

「物価が高いから消費税を下げる」「選挙で約束したから実行する」という説明は分かりやすいものの、それだけで日本経済や財政の問題を語ることはできません。

政治家には、選挙で支持を得るための公約ではなく、将来の日本を見据えた政策を示してもらいたいと思います。そしてメディアにも、単純な賛成・反対の構図にするのではなく、その政策のメリットとデメリットを国民に分かりやすく伝える役割があります。

選挙に勝つための公約ではなく、日本の将来のための公約を。

複雑な問題を単純化せず、それでも国民に分かりやすく伝え、納得してもらうこと。それこそが政治に求められるPRなのではないでしょうか。

 
 

太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」は、昭和を代表する名曲です。

私も大好きな一曲で、若い頃はよく口ずさんでいました。先日、ランニングをしながら「昭和の名曲」を聴いていたところ、この曲が流れてきました。

 

懐かしい気持ちで聴いていたのですが、不思議なことに、昔とはまったく違う感想を持ったのです。

若い頃の私は、この歌を「都会へ出た恋人が故郷を忘れ、都会で生きていくことを選び、田舎に残った女性の切ない気持ちを歌った曲」だと思っていました。

 

ところが、改めて歌詞をよく聴いてみると、少し印象が変わりました。

都会へ出た彼は、故郷の恋人を忘れたわけではありません。

プレゼントを贈り、新しい流行を伝え、離れていても彼女を喜ばせようとしています。

決して冷たく突き放しているようには思えないのです。

 

一方、彼女は都会へ行こうとはせず、「昔のあなたのままでいてほしい」と願っています。

もちろん、昭和の時代ですから、今のようにSNSやビデオ通話はありません。

連絡手段は手紙や電話くらいで、お互いの気持ちが十分伝わらなかったこともあったでしょう。

それでも、彼には彼なりの生き方があり、夢があったはずです。

その変化を受け入れようとしない彼女を見ていると、「彼のほうが少しかわいそうではないか」と思うようになったのです。

歌の最後で別れを選ぶのは彼です。

昔は「都会に染まってしまった彼が悪い」と思っていましたが、今は「価値観が変わってしまった二人には避けられない結末だったのだろう」と感じます。

 

もしかすると、このように感じたのは、最近読んだ凪良ゆうさんの『汝、星のごとく』の影響もあるのかもしれません。

この作品では、お互いを深く思い合いながらも、それぞれの事情や人生によって一緒になれない男女が描かれています。

その恋愛を読んだ後だったからこそ、『木綿のハンカチーフ』の二人は、「もう少しお互いを理解できなかったのかな」と思ってしまったのでしょう。

 

もっとも、昭和と令和では時代背景がまったく違います。

もちろん、この歌を今の価値観だけで評価するのはフェアではありません。

昭和と令和では、恋愛観も生活環境も、そしてコミュニケーションの手段も大きく違います。

情報は限られ、都会と地方の距離も今よりずっと大きかった時代です。

今ならSNSやオンライン通話で毎日のように顔を見ながら話せますし、地方にいても都会の流行はすぐに知ることができます。

 

実際「木綿のハンカチーフ」以外の昭和のヒット曲を歌詞まで読み返してみると、「これ、今だったらモラハラかな」「いや、パワハラ?」「セクハラと言われるかもしれないな」と思ってしまう歌が意外とあります。


 

年齢を重ねると、同じ歌でも主人公が違って見えたり、共感する相手が変わったりします。

昭和、平成、令和――。それぞれの時代に名曲がありますが、その変化を楽しめるのは、長く生きてきたおじさん世代の特権なのでしょう。

さて、次に昭和の名曲を聴いたら、今度はどんなツッコミを入れたくなるのか。

そんなことを考えながらランニングしている私は、歌を聴いているのか、それとも歌詞を添削しているのか、自分でもよくわからなくなっています。



 
 

著者・橘川徳夫 プロフィール

ダウンロード.jpg

中央大学経済学部卒業。大学時代は、落語研究会に所属するほどの話好き(うるさいというのが周りの評価?)。座右の銘は「無知の知」。大学卒業後、電力会社や生命保険会社での勤務を経て、2001年ウインダムに入社。過去の様々な業務経験を活かして、PR業務に携わってきた。

落語研究会で養った自由な発想をもとに、様々なPRやマーケティング企画を立案。業務を通して蓄積した広範な業務知識をベースに、独自のPRコンサルティングがクライアントに好評を博している。趣味はランニングと読書。本から新たな知識を見つけたり、ランニング中にアイデアを思い浮かべる。

bottom of page