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無知の玉手箱
~知らないから始まるマーケティング~

―四季を恋しがるおじさんの独り言



今年の夏は本当に暑かったですね。猛暑という言葉では足りないくらいの暑さで、9月になってもまだ真夏日が続き、「一体いつまで夏なんだろう」と思っていました。ところが10月に入ると一転、急に寒くなり、秋を感じる間もなく冬が来てしまったような気がします。


そんな中、今年の新語・流行語大賞に「二季」という言葉がノミネートされました。最初は「何のこと?」と思いましたが、どうやら地球温暖化の影響で、春や秋が短くなり、“暑い夏”と“寒い冬”の二極化が進んでいるという意味だそうです。もし本当に「二季」の時代になってしまったら、日本人としてはやはり寂しいですね。


日本の四季は、世界に誇れる美しさと情緒があります。桜や紅葉、雪景色、そして入道雲――どれも季節ごとに変化する自然が作り出す風景です。お祭りや行事なども、四季の移ろいの中に生まれ、育まれてきました。こうした季節の表現があったからこそ、俳句のように「季語」を大切にする文化も生まれたのだと思います。

ただ、季節が変われば行事の在り方も変わってきます。運動会は5月や10月でも暑さ対策が必要になり、屋内開催を検討する学校も増えました。夏祭りや花火大会は、熱中症や台風の影響で中止になることもあります。一方で、冬のスキー場では雪不足が問題になり、人工雪に頼るケースもあるそうです。

 

かつては、春になれば桜を見ながら花見酒。夏は汗を流してビアガーデンで一杯。秋は紅葉狩りの後に温泉で一杯。冬は鍋を囲んで熱燗で一杯。

……私の場合は、単に「飲む口実」が四季とともにあるだけかもしれません(笑)。

 

清少納言の『枕草子』には「春はあけぼの、夏は夜」と、四季の移ろいを感じる美しい描写があります。四季をどう感じるかは人それぞれですが、その変化があるからこそ、季節のありがたみを感じられるのだと思います。

それが感じられなくなるのは、やはり寂しいことです。

地球温暖化は自然現象のように見えても、実際は人間の行動が引き起こしたもの。自業自得と言われればそれまでですが、やはり四季を失いたくはありません。

四季があるからこそ、日本人は情緒を育み、暮らしに彩りを感じてきたのだと思います。どうか「二季」ではなく、これからも春夏秋冬を感じられる日本であってほしい。……でないと、おじさんとしては、季節ごとの“飲む口実”がなくなってしまうのですから。

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─メッセージより行動が伝わる時代に


10月6日のブログで「高市自民党総裁が選ばれれば、日本初の女性総理が誕生するかもしれない」と書きました。

紆余曲折がありましたが、結局は、10月21日に高市新総理が正式に任命され、日本初の女性総理大臣が誕生しました。

 

自民党と公明党が過半数割れをしたことから、野党が結束すれば、自民党に代わって野党勢力が連携して政権交代を狙うことも可能になりました。

一時は、国民民主党の玉木代表を中心に調整が進められましたが、政策面での合意が得られず交渉は決裂しました。一方で、自民党と長年連立を組んでいた公明党が連立離脱を決断したことも受けて、高市総裁が本当に総理大臣に任命されるのか、果たして誰が総理大臣となるか、政局は混迷を極めました。

しかし、日本維新の会の吉村代表と高市総裁が協議を重ね、自民・維新による新たな連立政権が誕生することになりました。

 

高市内閣の発足後の支持率は高く、自民党と日本維新の会の政党支持率も上昇しました。一方で、国民民主党や参政党の支持率は下がり、立憲民主党は横ばいという結果となりました。

国民民主党は、玉木代表が一時「次期総理候補」として注目され、支持を集めましたが、最終的に政権に加われなかったことが支持低下の要因とみられています。

 

私の個人的な見方ですが、今回の政局の明暗を分けたのは「決断」だったと思います。政治において重要なのは、政策の中身そのものよりも、「何を、いつ、どう決めるか」という判断力です。国民が求めているのは、理念よりも行動、言葉よりも実行です。

 

各党の対応を振り返ると、「決断力」の差が政党支持率に明確に表れていると感じます。

  • 自民党:公明党との長年の連立を解消し、維新との新連立を決断。

  • 日本維新の会:政策実現のために政権参加を決断。

  • 国民民主党:政権入りの機会を前に決断できず、支持率が低下。

  • 公明党:連立離脱という苦渋の決断。

  • 立憲民主党:野党連携に向けた方針転換を決断できず停滞。

  • 参政党:政権協議への参加を見送り、支持を伸ばせず。

このように「決断した政党は支持を伸ばし、決断できなかった政党は支持を落とす」という構図がはっきりと見えてきます。

政治の世界では、最終的に“決める力”こそがリーダーシップの証であり、その姿勢がそのままPR効果=イメージ形成につながります。優柔不断な態度は「迷走」と映り、思い切った判断は「信頼」として受け止められるのです。つまり、政治における「決断」とは、言葉ではなく行動によるPRだと言えます。

 

石破政権の末期を振り返ると、「議論はしても決められない政治」への不満が国民の支持離れを招いた印象があります。国民が政治に求めているのは、理念の議論よりも「結果を出すこと」です。いくら立派な政策を掲げても、実行されなければPRとしての効果はありません。

今回の高市政権誕生では、自民党も維新の会も、一定のリスクを承知で連立に踏み切りました。その「決断した」という事実そのものが、「政治が動き出した」という前向きな印象を国民に与えたのだと思います。

 

PRの仕事に携わる立場から見ても、今回の政局は大変示唆に富むものでした。どれほど丁寧なメッセージを発信しても、最終的には「判断」と「実行」が伴わなければ、信頼や支持は得られません。それは政治に限らず、企業やブランドのPRにも共通する真理だと思います。

今後の高市政権がどこまで具体的な政策を実現できるかはまだわかりません。しかし、維新の吉村代表が掲げる“スピード感のある政治”と、高市総理の「決断力」が両輪となって進むなら、少なくとも政治が再び動き出す期待を感じます。

国民が政治に求めているのは、説明ではなく実践、言葉ではなく決断だと私は思います。今回の政権交代劇は、政治の世界におけるPRの本質を改めて考えさせられる出来事だったと思います。

 

 
 

原発立地の現実とPRの限界─地元貢献はイメージアップにつながるのか


前回のコラムでは、原子力の安全性とPRについてお話ししました。今回はその続きとして、原子力発電所の「立地」と「地域との関係」について考えてみたいと思います。

 

原子力発電所の安全性に最も敏感なのは、当然ながらその地元の住民です。しかし一方で、実際に原発の建設を「誘致」する自治体があるのも事実です。

その背景には、経済的なメリットがあります。原発が立地する自治体では、交付金や補助金が交付され、住民税が安くなったり、公共施設が整備されたりと、地域が潤っている例も少なくありません。また、原発では年に一度「定期検査」が行われ、多くの作業員が地域に滞在するため、一時的とはいえ地元経済に大きな波及効果をもたらします。

 

原発立地には、もう一つ大きな矛盾があります。電力の大消費地は東京や大阪といった大都市圏であるにもかかわらず、原発はそれらから遠く離れた地方に建設されています。

例えば、東京電力の原発があるのは福島県や新潟県ですが、いずれも東北電力の管轄地域です。また、関西電力の原発が集中する福井県は北陸電力の管内にあります。つまり、地元住民が恩恵を受けているのは「電気そのもの」ではなく、「経済的な補助」なのです。

本来、送電ロスを考えれば電力需要の多い都市近郊に建設するのが効率的です。しかし、人口密集地での原発建設は万が一のリスクを考えると現実的ではなく、結果として地方立地が避けられません。

 

原発の立地自治体には、法律に基づいて交付金や補助金が支給されます。その範囲は、原発からおおむね30キロ圏内と定められています。すると、わずかにその範囲から外れる自治体は支援を受けられず、当然反対の立場を取ることになります。この“線引き”が、地域の中に賛否を分けてしまう大きな要因です。

私も以前、原子力関連の会社に勤めていた経験がありますが、電力会社は地元住民への支援や配慮を怠っているわけではありません。むしろ丁寧に取り組んでいます。しかし、「どこまでを地元とするのか」という定義が難しく、結局は感情的な問題に発展してしまうケースが多いのです。

 

さらに、電力会社のPR活動は、地元への貢献を重視するあまり、その立地自治体(市町村)に対する支援や、首長・議員などの政治関係者へのアプローチに重点が置かれがちです。地元理解を得るためには必要な活動ではありますが、それがPR全体の主眼となってしまうことで、広く社会に向けた情報発信や全国的な理解促進が後回しになるという問題も生じています。

結果として、「原発の地元貢献=地域限定の話題」として扱われ、社会全体に伝わるメッセージ性が薄くなってしまう。こうしたPR構造の偏りが、原子力の正しい理解を広げるうえで大きな壁になっているのが実情です。

 

原子力発電のPRは、安全性や環境性といった理屈だけではなく、人の「感情」と向き合わなければなりません。どんなに経済的メリットを示しても、「不安」や「不信感」が拭えなければ、共感は得られません。

結局のところ、原発の地元支援という取り組みは、数字や制度では説明できない“感情の壁”をどう超えるかという課題に直面しています。これを乗り越えるのは、単なる地域PRではなく、全国的な視点での情報発信、そして時間をかけた対話と信頼の積み重ね以外にないのかもしれません。

 

 
 

著者・橘川徳夫 プロフィール

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中央大学経済学部卒業。大学時代は、落語研究会に所属するほどの話好き(うるさいというのが周りの評価?)。座右の銘は「無知の知」。大学卒業後、電力会社や生命保険会社での勤務を経て、2001年ウインダムに入社。過去の様々な業務経験を活かして、PR業務に携わってきた。

落語研究会で養った自由な発想をもとに、様々なPRやマーケティング企画を立案。業務を通して蓄積した広範な業務知識をベースに、独自のPRコンサルティングがクライアントに好評を博している。趣味はランニングと読書。本から新たな知識を見つけたり、ランニング中にアイデアを思い浮かべる。

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