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無知の玉手箱
~知らないから始まるマーケティング~


先週まで東京で開催された世界陸上では、日本人選手は惜しくもメダル獲得には届きませんでしたが、多くが入賞を果たし、持てる力を存分に発揮してくれました。その姿は大きな希望を与えてくれただけでなく、世界のトップレベルの選手たちが次々と叩き出す驚異的な記録や迫力ある競技からも、大きな感動を味わうことができた大会でした。


世界陸上の魅力は、記録を競う純粋なスポーツの面白さと、勝敗のドラマを同時に楽しめることにあります。特に今回は東京開催ということもあり、これまでは時差の関係で深夜や早朝に感染することになり、やむなくニュースでその結果を知ることの多かった大会を、ほぼすべてライブで観戦することができました。世界トップアスリートの走り、跳躍、投擲をリアルタイムで味わえたのは、大変楽しむことができるものでした。


しかし一方で、スポーツ放送の未来には少し不安を感じています。近年はネット配信の台頭により、これまで地上波で当たり前のように楽しめた世界大会が視聴できなくなる可能性が高まっているからです。実際、来年のWBCはネットフリックスでの独占配信が決定しており、地上波での放送はありません。また、サッカーワールドカップも高額化する放映権料の影響で、地上波での放送が危ぶまれています。

確かに「観たい人はお金を払えばいい」という意見も理解できます。しかし、私たちの世代にとっては、国際大会や国を代表するスポーツは「誰もが無料で観戦し、皆で応援するもの」という感覚があります。地上波で放送されないことに大きな違和感を覚えるのです。


スポーツのビジネス化は、一流選手の年俸を支えるために不可欠であり、その資金をまかなうため放映権料が高騰するのも自然な流れです。しかし、ここには矛盾もあります。無料放送で誰でも試合を観られることは、そのスポーツの最大のPRでもあります。観戦者が増えればファンが増え、実際に競技を始める人も増える。まさに「スポーツ人口拡大の入り口」が無料放送なのです。


そしてもうひとつ忘れてはならないのが、スポンサー企業の存在です。スポーツイベントは企業協賛によって成り立っており、スポンサーは大きなPR効果を得る代わりに大会や選手を支えています。もし企業協賛がなければ、今のような大規模なスポーツイベントは成立しないでしょう。


世界陸上で目の当たりにしたトップアスリートたちの走りや跳躍、投擲は、本当に心を揺さぶられるものでした。国境を越えて人々を熱狂させ、スポーツの力を改めて実感できる大会でもありました。

だからこそ、こうした感動を誰もが分かち合える場を失ってしまうのは、とても残念でなりません。スポーツは選手だけでなく、観る人、支える企業、そして放送の仕組みがあって初めて成り立つものです。


世界陸上の感動を次の世代にも伝えるために、スポーツを「誰でも楽しめる文化」として守り続ける仕組みを考えること。それが、今後のスポーツPRにおいて最も大切な課題だと感じています。


だからこそ、こうした感動を誰もが分かち合える場を失ってしまうのは、とても残念でなりません。スポーツは選手だけでなく、観る人、支える企業、そして放送の仕組みがあって初めて成り立つものです。


世界陸上の感動を次の世代にも伝えるために、スポーツを「誰でも楽しめる文化」として守り続ける仕組みを考えること。それが、今後のスポーツPRにおいて最も大切な課題だと感じています。

 
 

先日、垣谷美雨さんの小説『墓じまいラプソディ』を読みました。垣谷さんは、女性の生きづらさや人生の選択をテーマに描く社会派エンタメ小説で知られています。今回の作品も、少子化が進む時代において「結婚後の名前」や「誰が墓を継ぐのか」といった、これまで当たり前と思われてきたことが揺らぎつつある現実をユーモラスに、そして鋭く描いていました。楽しく読みながらも、多くのことを考えさせられました。

 

この本を読んだからというわけではありませんが、あらためて思うのは、「選択的夫婦別姓」がなぜこれほど長く国会で議論されながらも法案として成立しないのということです。実際、先進国で夫婦同姓を法律で義務づけているのは日本くらいだといわれています。

反対派の議員は「家族のきずながなくなる」「子どもが親と同じ姓でなければ不都合だ」「日本の戸籍制度の伝統が崩れる」などと主張していますが、どれも現実からずれているように感じます。


社会で普通に働いている女性の中には、旧姓で呼ばれたり、旧姓で仕事を続けている人が数多くいます。改姓によって生じる各種手続きの煩雑さは想像以上ですし、実際に戸惑いや不便を経験している人も多いはずです。現実問題として、改姓による「混乱」は既に社会に存在しているのです。


加えて、姓を変えるのはほとんどが女性側。私自身、結婚の際に自分の姓を変えるなんて考えもしませんでしたが、それは当時の社会通念の影響も大きいと思います。もし選択的夫婦別姓が当時から認められていたら、別姓を選んだ夫婦は少なくなかったでしょうし、私も妻がそう望むなら反対する理由はなかったと思います。

「姓が同じだから家族の絆がある」という主張についても、正直なところ納得できません。名前が同じだから絆が強まるのではなく、日々の関係性や信頼で家族は結ばれるものです。もし「同姓でないと家族は一体感を持てない」というのなら、それはむしろ形式だけに頼った“偽の絆”ではないでしょうか。


「子どもが親と姓が違うといじめられる」という指摘も耳にしますが、それも一時的な現象に過ぎないと思います。むしろ普及すれば「離婚したのか?」「片親なのか?」といった偏見を持たれることも減り、逆にいじめの理由を減らすことにつながるかもしれません。姓が違うことはいじめの“きっかけ”にすぎず、根本的な問題はもっと別のところにあるはずです。


この問題を放置することで、結婚をためらう人が増える可能性も高いでしょう。『墓じまいラプソディ』にもそうした事例が描かれていましたが、少子化対策を真剣に考えるのであれば、別姓の導入は避けて通れない課題だと思います。


そもそも「選択制」ですから、同姓を望む人はこれまで通り同姓を選べばよいのです。選択的別姓は「選べる」制度です。望む人は同姓を選べばいいだけの話で、別姓を望む人にまで「同じ姓じゃないと家族じゃない」と強要するのは、もはや時代錯誤と言わざるを得ません。


少子化や晩婚化が進む中、結婚をためらう理由のひとつが「姓の問題」であることは明らかだと思います。それでも国会は延々と議論を続けるばかりで、何十年も結論を出せない。日本社会が大きく変わっていることに気づかない議員たちの姿は、周りがみんなデジタル機器で仕事をしているのに、一人だけ紙のそろばんを弾いて“これで十分だ”と言い張っているようなものです。


令和の時代に生きる私たちは、もうアナログからデジタルへと進んでいます。なのに国会だけが「やっぱり手書きのほうが心がこもっている」と言って動かないような時代感覚に正直、あきれるやら、笑うやら――そんな気分になります。

 
 

先日のPR特別講座では、私が1年間X(旧Twitter)の投稿を続けてきた経緯や苦労についてお話ししました。今回は、その中で気づいたことを整理してみます。今後SNSを活用しようと考えている方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

 

私のXアカウントは会社ではなく、あくまで個人として運用しています。そのため、まず大事だと思ったのは「投稿に個性を持たせること」でした。

当初はPR会社の社長という立場から、「PRの観点からニュースを斬る」というイメージで発信していました。

しかし、PRというテーマ自体に強い関心を持つ人は限られており、反応が少ないからかインプレッションなどが伸び悩みました。

さらに、ニュースをPR視点に無理に結びつけようとすると、時間も手間もかかり、不自然さが出てしまいました。

そこで方向性を見直し、「おじさん目線でニュースを斬る」というスタイルに切り替えました。

 

スタイルを変えてからは、取り上げる話題を広くしました。スポーツ、芸能、政治、事件、地域、科学、IT、企業など、多彩なジャンルについて意見や感想を発信しました。

特に話題性のあるテーマ――たとえば大谷翔平選手の活躍やお笑いの賞レース――では、インプレッション数がフォロワー数の数十倍に跳ね上がることもありました。

この経験から、人々が関心を寄せているテーマに触れることの重要性を改めて実感しました。

 

インプレッションが増えると一時的にフォロワーも増えます。ところが、しばらくするとまた減ってしまう。

これは「自分の興味のある投稿を見てフォローしたものの、その後の投稿が関心外だった」という理由だと考えています。つまり、フォロワーを増やすには「テーマの一貫性」と「発信する人柄」が大事ということです。

私のように幅広いテーマを扱う場合、よほど知名度がある論客でないとフォロワー数を増やし続けるのは難しい。一方で、発言を少し過激にすればフォロワーが伸びる可能性もあります。ただ、私の場合は会社の代表という立場もあり、偏った発信は控えてきました。その分、面白みや共感を得にくいという側面もあると感じています。

以前の講座でも触れましたが、人は「自分が言えないことを代わりに言ってくれる投稿」に共感するものです。トレンドに合わせた発信も効果的ですが、ただ流されるだけだと個性が見えにくくなります。そのため、「トレンドを踏まえつつ、自分らしさをどう出すか」がポイントになると思います。

 

私の経験では、朝の通勤前や夕方の退勤前に投稿すると、タイムラインをチェックする人が多く、インプレッションが伸びやすい印象があります。

また、誰も発信していない情報をいち早く投稿するとインプレッションは大きく伸びます。ただし、トレンドに乗る場合でもフォロワーが少ないうちは「多くの人が同じ話題を投稿している中に埋もれてしまう」こともあるので注意が必要です。

 

今回書いたことは、SNS運用においては、ある意味「当たり前」のことかもしれません。しかし、個人で発信する場合には特に、その人がどういう人物なのかが見えることが大事だと思います。

ただし、発信する内容が共感を得られなければインプレッションは伸びません。トレンドに合わせた投稿をすれば数字は伸びるかもしれませんが、その一方で自分の個性が埋もれてしまう危険もあるため、注意が必要です。

また、過激な発信で一時的に注目を集めることもできますが、長期的に見れば望ましい方法ではありません。やはり、自分に合ったやり方で地道に続けていくことが大切だと思います。


私自身も模索しながら続けてきましたが、もし読者の皆さんの中で「こんな方法もある」というアイデアがあれば、ぜひ教えていただきたいと思っています。

 
 

著者・橘川徳夫 プロフィール

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中央大学経済学部卒業。大学時代は、落語研究会に所属するほどの話好き(うるさいというのが周りの評価?)。座右の銘は「無知の知」。大学卒業後、電力会社や生命保険会社での勤務を経て、2001年ウインダムに入社。過去の様々な業務経験を活かして、PR業務に携わってきた。

落語研究会で養った自由な発想をもとに、様々なPRやマーケティング企画を立案。業務を通して蓄積した広範な業務知識をベースに、独自のPRコンサルティングがクライアントに好評を博している。趣味はランニングと読書。本から新たな知識を見つけたり、ランニング中にアイデアを思い浮かべる。

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