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無知の玉手箱
~知らないから始まるマーケティング~

原子力PRの難しさ──「事故」をどう語るか


前回のコラムでは、原子力の推進派も反対派もあまり多くを語りたがらない問題として、いわゆるバックエンド、つまり核のゴミの問題について触れました。今回はそれとは少し違い、主に推進派側が直面する問題について考えてみたいと思います。

それは、原子力発電所における「事故」の問題です。

 

事故というと非常に大きな出来事を想像しがちですが、実際にはもう少し広い意味で考える必要があります。機械というものは長く使えば部品が消耗し、故障が起こる可能性もあります。

原子力発電所ではそうした事態を防ぐため、定期点検を行い、部品の交換や修繕などを徹底しています。それでも、運転中にトラブルが起きる可能性を完全にゼロにすることはできません。

問題は、そのときの情報発信のあり方です。

 

電力会社はこれまで、原子力発電所の安全性を強く訴えてきました。その結果、「事故は起きない」という印象を社会に与えてきた面があります。

しかし、もし小さなトラブルが起きた場合、どうしてもこれまでの発言との整合性が問われます。そのため発表が遅れたり、場合によっては隠してしまうような事態が起こることがあります。

事故が起きれば反対派は「やはり安全ではない」と主張します。推進側はそれに対して弁明的な説明をすることになり、「問題のない事象である」という説明が中心になります。

結果として、反対派の主張の印象が強く残ってしまうことになります。

 

PRの観点で見ると、ここには大きな非対称があります。

反対派は、仮に誤った情報を発信したとしても、「電力会社や政府が情報公開をしていないからだ」という形で論点を転換することが可能です。

しかし推進派はそうはいきません。誤った情報を発信すれば、それ自体が大きな問題になります。

そのため情報発信には慎重にならざるを得ず、結果として発信が遅れ、「事故隠しではないか」と批判される構図になりやすいのです。

つまり、事故やトラブルが起きたとき、推進派はどうしても後手に回りやすい構造にあります。


この問題の根本には、「絶対安全」という言葉があります。

絶対安全を前提にしてしまうと、トラブルが起きた瞬間に、これまでの説明と矛盾が生じます。それが議論をさらに複雑にしてしまいます。

現実的には、事故の可能性を完全にゼロにすることはできません。であれば、説明の前提を変える必要があるのではないでしょうか。

つまり、「事故は起こり得る。しかし、それを防ぎ、被害を最小化するための安全システムが備わっている」という説明です。

実際、原子力関連の会見では、「安全装置が作動したため、放射能の漏えいはなかった」という説明がよく聞かれます。

事故の可能性を認めつつ、大きな事故につながらない設計になっているという説明の方が、反対派の主張にも対応しやすいように思えます。

 

とはいえ、この考え方がそのまま受け入れられるかというと簡単ではありません。

福島の事故が起きてしまった以上、「事故は起こり得るが問題ない」という説明を国民がすぐに受け入れるとは限らないからです。実際に国民生活に大きな影響を与えた事故を経験している以上、不安は簡単には消えません。

そのため、推進派は安全性を強調しすぎても疑念を持たれ、現実的な説明をすれば不安を強めてしまうという、非常に難しい立場に置かれています。

 

原子力をめぐる議論は、単なる技術の問題ではなく、信頼と情報発信の問題でもあります。そしてまさにその点こそが、原子力のPRを進めるうえで最も難しい課題になっているのではないかと感じています。

 
 

~価格戦略がブランドを左右する~


PRや広告キャンペーンを企画する際、「無料」という言葉は非常に強力な武器になります。

利用者にとって“メリットが明確”であり、情報としての価値が高いため、記事掲載につながる可能性も高くなります。メディアにとっても、読者・視聴者にメリットのある情報は歓迎されるからです。

 

たとえば、読者プレゼント企画。

  • 企業は商品を提供する

  • メディアは読者サービスとして紹介する

  • 読者は無料で商品を受け取れる

それぞれにメリットがあるため、掲載につながりやすい仕組みになっています。

このように、「無料」はPRの世界ではよく使われる手法であり、PR会社でも企画として提案することは少なくありません。

 

ただし、この手法にはリスクもあります。

あまり頻繁に「無料」や「大幅割引」を打ち出すと、ブランド価値が下がってしまう可能性があります。

街角で「閉店セール」の看板を見かけることがあると思います。閉店だからこそ“今だけ”という特別感があるのに、翌月もまた「閉店セール」が行われている…。こうなると、消費者は次第に気づきます。「本当に閉店するわけではない」と。

結果として、セールのインパクトは弱まり、通常価格への信頼も低下していきます。

 

価格は、購買行動において非常に重要な要素です。

一度「無料」や大幅割引を経験した顧客は、その価格を基準(アンカー)にしてしまいます。

もし通常価格で提供したときに、「その価値がない」と感じられれば、“無料だったときの価格”が基準になり、定価が高く感じられてしまいます。

つまり、無料キャンペーンは、その後の価格イメージを左右する可能性があるのです。

 

無料キャンペーンを企画するのであれば、まず自社の製品・サービスが、本来の価格に見合う価値を持っているかどうかを確認する必要があります。

「無料だから試す」という入り口は有効ですが、「有料でも使いたい」と思ってもらえなければ、単なる一時的な集客で終わってしまいます。

 

私は、「無料」や「割引」は、何度も繰り返すよりも、戦略的に1回使う方がPR効果は高いと考えています。

効果が高いからといって多用すれば、その価格が当たり前になり、ブランドの価値が薄れていきます。

むしろ、

  • 自社の価値を知ってもらうきっかけ

  • 新規顧客との接点づくり

  • 話題づくり

として活用するのが望ましいでしょう。

 

「無料」は確かに強力なPR手法です。しかし、強い武器ほど使い方を誤ると自分を傷つけます。

価格はブランドそのもの。その価格をどう扱うかは、PR戦略に大きく影響します。

無料キャンペーンを実施する前に、ぜひ一度、自社の価値と価格のバランスを見直してみてください。

“安さ”で選ばれるのか、

“価値”で選ばれるのか。

PRは、その選択を社会にどう伝えるかという戦略でもあるのです。


 
 

先日、このコラムで落語のプロデュースについてお話ししました。その中で改めて感じているのが、最近の落語の変化です。

私がプロデュースしている「さがみはら若手落語家選手権」では、ここ数年で明らかな変化が起きています。それは、新作落語の成績が良くなってきていることです。

今年の大会では、初めて新作落語を演じた2名が予選を通過しました。これは、私にとっても象徴的な出来事でした。

(結果は、三遊亭ご飯粒さんが優勝しました。演目は「寿限無」でしたが、実際は寿限無を改作した「DJ寿限無」なので、古典と言えるか微妙です。)

 

実は、当初は新作落語を演じる出演者も少なくありませんでした。しかし、正直に言えば、当時は「聴けるレベル」と言えるものは多くなかったように思います。

結果として、新作落語で予選を通過した人はおらず、「さがみはら若手落語家選手権では新作は勝てない」という噂が立ったこともありました。

落語というと、噺家が自分でネタを作っていると思われがちですが、実際には多くの噺家が古典落語を演じています。古典落語は、長い年月をかけて磨かれてきた完成度の高いコンテンツです。

同じネタでも、演じる人によって面白さが変わります。テンポ、間の取り方、人物の描き分け。技量があれば、知っている噺でも思わず笑ってしまうのです。

逆に言えば、技量がなければ笑えない。

古典落語は、ある程度完成された物語がある分、演者の技量が多少不足しても支えてくれます。しかし、新作落語は違います。

ストーリーが未成熟で、かつ演者の力量も伴っていなければ、悲惨な結果になります。

 

私は常々思っていますが、まずは古典落語をしっかり演じられるレベルになることが大切です。舞台で言えば、まずはお客様が満足できる演技力を身につけること。

そのうえで、自分の落語を創作し、披露し、試行錯誤しながら磨いていく。そうして初めて、新作が育っていくのだと思います。

最近、新作落語が伸びている背景には、若手の基礎力向上があると感じています。

 

今の若い世代は、小さい頃からお笑いブームの中で育っています。漫才やコントのレベルは非常に高く、M-1やキングオブコントの予選を勝ち抜くネタなどは、本当に完成度が高い。

そうした「笑いの感覚」が洗練された世代が、新作落語に挑戦している。ストーリーが面白いのは、ある意味当然なのかもしれません。

そこに、古典でも通用する落語力が加われば、面白くないはずがない。

実際、「さがみはら若手落語家選手権」だけでなく、各地で新作落語が評価されるケースが増えてきています。

 

とはいえ、落語は着物を着て演じる伝統芸能です。一人で複数の人物を演じ、観客が頭の中で情景を想像する芸です。

古典落語では、江戸や明治の設定が多いため、着物姿と世界観が自然に結びつきます。八五郎がご隠居を訪ねる場面は、想像しやすい。

しかし、新作で「新入社員の佐藤君が高橋部長を訪ねる」という場面を、着物姿で演じると、少し想像が難しくなります。

それでも、今の若手はそれを乗り越え、しっかり笑いを取っています。いずれ、着物にとらわれない落語の形が出てくるのかもしれません。

ただ、それが伝統芸能としてどう受け止められるのか。演じる側がどう考えるのか。興味深いテーマです。

 

PRの観点で見ると、ここには重要な示唆があります。

伝統があるからといって、同じことを続けるだけでは広がりません。しかし、基礎がないまま革新を掲げても支持は得られません。

まずは「土台」。そして「磨かれたコンテンツ」。その上に、時代性を乗せる。

新作落語が評価され始めた背景には、この順番を踏んだ進化があります。

落語もPRも同じです。中身が伴っていなければ、どんな演出も通用しない。

これからますます進化していきそうな新作落語。その広がりを、プロデューサーとして、そして一人の観客として、楽しみに見守っていきたいと思います。

 
 

著者・橘川徳夫 プロフィール

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中央大学経済学部卒業。大学時代は、落語研究会に所属するほどの話好き(うるさいというのが周りの評価?)。座右の銘は「無知の知」。大学卒業後、電力会社や生命保険会社での勤務を経て、2001年ウインダムに入社。過去の様々な業務経験を活かして、PR業務に携わってきた。

落語研究会で養った自由な発想をもとに、様々なPRやマーケティング企画を立案。業務を通して蓄積した広範な業務知識をベースに、独自のPRコンサルティングがクライアントに好評を博している。趣味はランニングと読書。本から新たな知識を見つけたり、ランニング中にアイデアを思い浮かべる。

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