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無知の玉手箱
~知らないから始まるマーケティング~


久しぶりに映画館で映画を観ました。観たのは、歌舞伎の世界を描いた作品「国宝」。3時間近い上映時間に身構えていたものの、観始めると引き込まれ、最後まで時間を気にせずに楽しむことができました。(終わってみればやはり長かったのですが…)

 

本作は「芸は血筋か才能か」というテーマを軸に、歌舞伎の厳しい世界を描いています。主演の吉沢亮さん、共演の横浜流星さんの歌舞伎演技は高い評価を集めていますが、俳優が役として歌舞伎を演じることと、本職の歌舞伎役者が日々舞台に立ち続けることは全く次元の違う営みです。比較そのものに意味はないと感じました。


歌舞伎の世界は血筋を重んじます。名跡を継ぐ者には大きなプレッシャーがのしかかり、芸を磨いて世間に認めてもらわなければなりません。反対に、血縁がなく才能があっても報われないこともある。その矛盾や葛藤を、この映画は見事に描き出していました。

私のよく知る落語の世界では血縁があっても芸が伴わなければ評価されません。その点で、歌舞伎はより厳しい伝統の中で芸を継承する世界だと感じました。

 

この映画は派手な宣伝があったわけではありません。それでも「観た人の評価が次の観客を呼び、話題が広がる」という流れで動員が増えました。まさに口コミで広がる理想的なPRです。

ただし、その前提はあくまで「コンテンツそのものが良いこと」。いくらPRを工夫しても、中身が伴わなければ話題にはなりません。結局、PRの力を最大化できるかどうかはコンテンツ次第なのだと改めて感じました。

 

一方で、本作を観ながら「芸とコンプライアンスは必ずしも相性が良くない」とも感じました。芸には表現者の生き方や人生観がにじみ出ます。それを社会規範の名のもとに一律に縛ってしまうと、芸の自由さや表現の深みが失われる危険性があります。(もちろん犯罪行為を肯定するわけではありません。)

近年、コンプライアンスは企業活動やPRにおいて避けられない前提条件になっています。しかし、その意識が高まることで芸術や文化の表現が制約され、結果的にPRすべき「魅力あるコンテンツ」そのものが生まれにくくなるかもしれません。

 

映画「国宝」を観て改めて思ったのは、PRの成否は結局コンテンツの力にかかっているということ。そして同時に、コンプライアンスが強く求められる時代においては、その制約がコンテンツづくり、ひいてはPRそのものに影を落とす可能性があるということです。今後のPRにとって、この両立は大きな課題になっていくのだと強く感じました。

 

 

 
 

一作日、自民党の総裁選挙の投票があり、高市早苗さんが次の総裁に選ばれました。思えば、昨年今ごろ「自民党と立憲民主党の総裁選挙」についてこのブログで書いたあの日から、まさか1年後にまた自民党総裁選があるとは思っていませんでした。

 

この総裁選は、7月の参議院選挙での敗北を受けて、党内から責任を問う声が上がり、石破総裁が辞任したことがきっかけで実施されたものです。世間の中には「石破さんを続けさせてほしい」「世論の支持を無視すべきでない」という声もありましたが、私は、党のリーダーが参議院選だけでなく、衆議院選・都議会選なども含めて三連敗しているのに責任を取らないまま続投するなど、経営者目線からみたら考えられない話だと思います。だから、この総裁交代はむしろ当然の流れだった、と私は感じています。

 

世論調査では、自民党支持者の中にも石破氏継続を望む声が根強くありました。それをみると、自民党内では「石破氏よりふさわしい人がいない」という自民党の人材難も否めないところではありますが、そんな中で、党員が誰に何を期待して投票したのかは非常に興味深いところです。

 

今回の総裁選は、昨年までと違う点があります。少数与党という新しい局面に立たされたため、単に政策を語るだけでは足りない。野党との連携も踏まえて、その政策を実現する仕組みを見せなければならない立場になったのです。だからこそ、総裁選で掲げられた政策と、それを実行する覚悟が、これまで以上に問われる戦いだったはずです。

 

ただ、正直言って盛り上がりに欠けた印象も否めません。昨年も出馬していた候補がまた出ていた点、そして「総裁になっても必ず首相になるわけではない」可能性が見えるようになった点が、関心を薄くした部分でしょう。また、「党の出直し」「刷新」を掲げた割には、大胆な政策や抜本改革を打ち出す候補があまり見られなかったように思います。結局は無難な主張が多かった。

さらに気になったのは、どの候補も「国民」向け発信より「自民党員」に向けた主張に力を入れていたところ。党内支持を固めるのは当然ですが、それで本当に改革や変化が可能なのか、疑問は残ります。

メディアもまた、議員が何票を得たか、誰と誰の組み合わせか、という“数字とネタ”に終始し、この国をどうしていくかという議論にはなかなか踏み込まない。これでは国民の関心をつなぎ止められないのも無理はありません。

 

高市新総裁の誕生で、このまま進めば、「日本初の女性総理誕生」という話題性はもちろん注目に値します。女性初という華やかなニュースが話題になる一方で、実際にはその道のりは決して平坦ではありません。

少子化、外国人労働、物価高、エネルギー、外交、安全保障――日本が抱える課題は山積しています。

 

しかも、かつてのように自民党だけで決められる時代ではなくなりました。今は、野党や地方、国民との合意をどう築くかが問われる時代となり、従来のやり方のままでは、もはや前に進めないでしょう。

高市新総裁に求められるのは、女性だからという象徴性ではなく、停滞した政治の仕組みをどう変えるかという実行力です。もしここで、自民党が自らを改革し、信頼を取り戻す道を示せれば、日本政治の新しい一歩になるでしょう。

 

しかし、その改革ができなければ、高市総理は「日本初の女性総理」であると同時に、「自民党から最後に生まれた総理」になるかもしれません。自民党が変わるかどうか、正直、私も含め誰もが半信半疑かと思います。でも、変わってほしいと国民が望んでいるのも確かだと思います。

せっかく日本初の女性総理が誕生するのですから、私たちは「新しい時代の政治」を見たいですよね。古い慣習や前例主義にとらわれず、国民の声に真摯に耳を傾ける政治を、期待したいものです。

 

 
 

先週まで東京で開催された世界陸上では、日本人選手は惜しくもメダル獲得には届きませんでしたが、多くが入賞を果たし、持てる力を存分に発揮してくれました。その姿は大きな希望を与えてくれただけでなく、世界のトップレベルの選手たちが次々と叩き出す驚異的な記録や迫力ある競技からも、大きな感動を味わうことができた大会でした。


世界陸上の魅力は、記録を競う純粋なスポーツの面白さと、勝敗のドラマを同時に楽しめることにあります。特に今回は東京開催ということもあり、これまでは時差の関係で深夜や早朝に感染することになり、やむなくニュースでその結果を知ることの多かった大会を、ほぼすべてライブで観戦することができました。世界トップアスリートの走り、跳躍、投擲をリアルタイムで味わえたのは、大変楽しむことができるものでした。


しかし一方で、スポーツ放送の未来には少し不安を感じています。近年はネット配信の台頭により、これまで地上波で当たり前のように楽しめた世界大会が視聴できなくなる可能性が高まっているからです。実際、来年のWBCはネットフリックスでの独占配信が決定しており、地上波での放送はありません。また、サッカーワールドカップも高額化する放映権料の影響で、地上波での放送が危ぶまれています。

確かに「観たい人はお金を払えばいい」という意見も理解できます。しかし、私たちの世代にとっては、国際大会や国を代表するスポーツは「誰もが無料で観戦し、皆で応援するもの」という感覚があります。地上波で放送されないことに大きな違和感を覚えるのです。


スポーツのビジネス化は、一流選手の年俸を支えるために不可欠であり、その資金をまかなうため放映権料が高騰するのも自然な流れです。しかし、ここには矛盾もあります。無料放送で誰でも試合を観られることは、そのスポーツの最大のPRでもあります。観戦者が増えればファンが増え、実際に競技を始める人も増える。まさに「スポーツ人口拡大の入り口」が無料放送なのです。


そしてもうひとつ忘れてはならないのが、スポンサー企業の存在です。スポーツイベントは企業協賛によって成り立っており、スポンサーは大きなPR効果を得る代わりに大会や選手を支えています。もし企業協賛がなければ、今のような大規模なスポーツイベントは成立しないでしょう。


世界陸上で目の当たりにしたトップアスリートたちの走りや跳躍、投擲は、本当に心を揺さぶられるものでした。国境を越えて人々を熱狂させ、スポーツの力を改めて実感できる大会でもありました。

だからこそ、こうした感動を誰もが分かち合える場を失ってしまうのは、とても残念でなりません。スポーツは選手だけでなく、観る人、支える企業、そして放送の仕組みがあって初めて成り立つものです。


世界陸上の感動を次の世代にも伝えるために、スポーツを「誰でも楽しめる文化」として守り続ける仕組みを考えること。それが、今後のスポーツPRにおいて最も大切な課題だと感じています。


だからこそ、こうした感動を誰もが分かち合える場を失ってしまうのは、とても残念でなりません。スポーツは選手だけでなく、観る人、支える企業、そして放送の仕組みがあって初めて成り立つものです。


世界陸上の感動を次の世代にも伝えるために、スポーツを「誰でも楽しめる文化」として守り続ける仕組みを考えること。それが、今後のスポーツPRにおいて最も大切な課題だと感じています。

 
 

著者・橘川徳夫 プロフィール

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中央大学経済学部卒業。大学時代は、落語研究会に所属するほどの話好き(うるさいというのが周りの評価?)。座右の銘は「無知の知」。大学卒業後、電力会社や生命保険会社での勤務を経て、2001年ウインダムに入社。過去の様々な業務経験を活かして、PR業務に携わってきた。

落語研究会で養った自由な発想をもとに、様々なPRやマーケティング企画を立案。業務を通して蓄積した広範な業務知識をベースに、独自のPRコンサルティングがクライアントに好評を博している。趣味はランニングと読書。本から新たな知識を見つけたり、ランニング中にアイデアを思い浮かべる。

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