- 徳夫 橘川
- 7月25日
- 読了時間: 2分
更新日:7月25日
少し前まで、あちこちで「SDG’s!」「SDG’s!」と連呼されていた気がします。テレビでも雑誌でも企業のPRでも、とにかくその言葉を目にしない日はない、というくらい盛り上がっていました。
最近では、さすがにその“熱狂”も少し落ち着いてきたように思います。とはいえ、最初にSDG’sという言葉を耳にしたとき、「何それ?」と戸惑った記憶は、まだ新しいという方も多いのではないでしょうか。
改めて整理すると、SDG’sとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略で、2016年から2030年までに達成を目指す、17の国際目標のこと。貧困、飢餓、健康、教育、ジェンダー平等、気候変動など、地球が抱えるさまざまな課題に対し、国や企業、そして個人が取り組むべき方向性を示しています。
理想は素晴らしい。だからこそ、誰も「反対」とは言いません。でも、いざ具体的な行動となると、途端に動きが鈍くなります。これが、SDG’sの“総論賛成・各論静観”という現実なのではないかと感じています。
例えば気候変動。大きな問題として意識はしていても、国際会議では各国の思惑が絡み合い、抜本的な対策は進んでいません。ごみの分別は大事とわかっていても、毎日の細かい仕分けが面倒に感じてしまいます。ジェンダー平等も声高に叫ばれるようにはなったものの、日本社会では依然として女性の社会進出は難しい現状です。「貧困をなくそう」と言っても、先進国ですら格差が広がり、貧困家庭が増加していて、もはや発展途上国だけの問題ではありません。
つまり、理想と現実のギャップが大きすぎるのです。社会構造も経済も利害も絡む中で、「これをやれば解決する」という一本化された方法は、そう簡単には見つかりません。
それでも、やっぱり何かしら動いていかないと、子どもや孫たちの世代が選べる未来がなくなってしまうかもしれません。
そう考えると、大きなことはできなくても、せめて“自分にできる小さなこと”から始めるしかない、と思うのです。
我が家の場合、それが「残飯整理」でした(笑)。家族が食べ残したごはんを、私が当たり前のように片付けます。昔から「残さず食べる」は美徳だったので、特に私は気にしていませんでしたが、最近では私のこの行動に対し、家族がこう呼びます。
「お父さん、SDG’sおじさんだね」
なんだか褒められているのか、利用されているのかわかりませんが(笑)、こういうちょっとしたことの積み重ねも、未来を変える一歩になると信じるしかないです。
まずは、「自分の目の前の小さなことからを」「無理のない範囲で」でも続けていくことが、SDG’sの本質に近いのではないかと感じています。






