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無知の玉手箱
~知らないから始まるマーケティング~


少し前まで、あちこちで「SDG’s!」「SDG’s!」と連呼されていた気がします。テレビでも雑誌でも企業のPRでも、とにかくその言葉を目にしない日はない、というくらい盛り上がっていました。

最近では、さすがにその“熱狂”も少し落ち着いてきたように思います。とはいえ、最初にSDG’sという言葉を耳にしたとき、「何それ?」と戸惑った記憶は、まだ新しいという方も多いのではないでしょうか。


改めて整理すると、SDG’sとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略で、2016年から2030年までに達成を目指す、17の国際目標のこと。貧困、飢餓、健康、教育、ジェンダー平等、気候変動など、地球が抱えるさまざまな課題に対し、国や企業、そして個人が取り組むべき方向性を示しています。


理想は素晴らしい。だからこそ、誰も「反対」とは言いません。でも、いざ具体的な行動となると、途端に動きが鈍くなります。これが、SDG’sの“総論賛成・各論静観”という現実なのではないかと感じています。


例えば気候変動。大きな問題として意識はしていても、国際会議では各国の思惑が絡み合い、抜本的な対策は進んでいません。ごみの分別は大事とわかっていても、毎日の細かい仕分けが面倒に感じてしまいます。ジェンダー平等も声高に叫ばれるようにはなったものの、日本社会では依然として女性の社会進出は難しい現状です。「貧困をなくそう」と言っても、先進国ですら格差が広がり、貧困家庭が増加していて、もはや発展途上国だけの問題ではありません。


つまり、理想と現実のギャップが大きすぎるのです。社会構造も経済も利害も絡む中で、「これをやれば解決する」という一本化された方法は、そう簡単には見つかりません。


それでも、やっぱり何かしら動いていかないと、子どもや孫たちの世代が選べる未来がなくなってしまうかもしれません。

そう考えると、大きなことはできなくても、せめて“自分にできる小さなこと”から始めるしかない、と思うのです。


我が家の場合、それが「残飯整理」でした(笑)。家族が食べ残したごはんを、私が当たり前のように片付けます。昔から「残さず食べる」は美徳だったので、特に私は気にしていませんでしたが、最近では私のこの行動に対し、家族がこう呼びます。


「お父さん、SDG’sおじさんだね」


なんだか褒められているのか、利用されているのかわかりませんが(笑)、こういうちょっとしたことの積み重ねも、未来を変える一歩になると信じるしかないです。

まずは、「自分の目の前の小さなことからを」「無理のない範囲で」でも続けていくことが、SDG’sの本質に近いのではないかと感じています。

 

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先日行われた参議院議員選挙では、与党(自民・公明)が過半数割れとなり、国民民主党や参政党が大きく議席を伸ばすという結果になりました。これまでの政党に対する不信感や、変化を求める有権者の声が背景にあることは間違いありません。

 

以前このブログでも「選挙ではPRが重要」であるという話をしました(過去記事(オールドメディア vs. SNS?選挙PRのいま )はこちら)。選挙は、候補者や政党が「自分たちが何者で、どんな未来を描こうとしているのか」を有権者に知ってもらうための“広報の場”です。つまりPRそのものなのです。

有権者が投票を決める要素には、大きく以下のようなものがあると思います。

  1. どの政党に所属しているか

  2. 政策の中身

  3. 将来ビジョン・価値観

  4. 候補者の人柄

  5. 知人・家族などの推薦

この中で、何を重視するかは人それぞれですが、どれも「伝える努力」がなければ、有権者に届くことはありません。

 

今年の都知事選に出馬した石丸氏が立ち上げた新党「再生の道」は、その点において大きな課題を抱えていたように思います。特に、都議選で「党として政策は掲げない。候補者に任せる」とした方針は、多くの都民にとって“判断材料がない政党”という印象を与えてしまったのではないでしょうか。

 

結果として候補者全員が落選し、その後の「やむをえない」とのコメントには、リーダーとしての責任感や反省の色が見えず、困惑した関係者も多かったと思います。リーダーシップや姿勢は、政党の顔そのものであり、PRにおいても極めて重要です。

 

今回の参議院選では公約として「教育の質を高める」と掲げたものの、結果は議席ゼロでした。都議選での対応が影を落としたことは否定できません。また、SNSを軸に拡散してきた石丸氏のスタイルも、新党結成後は自らが批判の対象となり、ネガティブな印象を打ち消せなかった点で、PR的にも大きな誤算だったと言えるでしょう。

 

最近の選挙PRでは、X(旧Twitter)だけでなく、YouTubeを中心とした動画コンテンツの活用も目立ちます。映像の力は強く、メッセージを直感的に届けることができますが、一方で感情的・過激な表現が注目を集めやすく、対立や誤解を招くことも少なくありません。情報の伝達手段が多様化する今だからこそ、「どう伝えるか」だけでなく「何を伝えるか」がより問われています。

政治の世界でも、信頼を得るためには「政策」「人物」「考え方」を誠実に、そして継続的に伝えることが何より大切です。逆に、伝える力を軽んじたとき、有権者は「選ぶ理由」を見失ってしまいます。

 

私たちが選挙を通じて求めているのは、「伝わる政治」です。PRが政治の透明性を高め、日本の民主主義を一歩進める手段であることを、改めて感じさせられた選挙でした。

そして最後に願うのは、SNSや動画での発信ばかりに偏るのではなく、選挙で選ばれた議員たちが、国会という公の場で、しっかりと論戦を重ねていってほしいということです。言葉の力は、SNSの短文や動画の編集に頼るだけでなく、議論の中でこそ本領を発揮するものだと思います。

 
 

前回のブログでは、猛暑と冷房需要についてお話ししました。気温が上がれば当然エアコンの使用が増え、それにともなって電力不足が懸念されます。すると、しばしば浮上するのが「原子力発電所を再稼働すべきか」という議論です。

実は、私はかつて原子力発電関連の会社に勤務していた経験があり、一般の方よりは原子力について多少の知識があります。そのため、こうした話題になると、つい考え込んでしまうのです。

 

福島第一原発事故以降、日本の原発の多くは停止したまま。一部では、再稼働した発電所もありますが、安全性への不安が根強く、簡単に「再開」とは言えないのが現実です。電力会社は、CO2削減や地球環境への貢献を理由に、原子力の必要性を訴えていますが、なかなか国民の理解を得るには至っていません。

 

元当事者として外からこのPR活動を見ると、「もっと伝えられることがあるのではないか」ともどかしく感じる一方で、「難しいよな」と納得してしまう自分もいます。そのあたりが、私自身の中でも非常に複雑なところです。

 

とはいえ、現在の火力発電中心のエネルギー政策は、環境面でも持続可能とは言えません。本来であれば再生可能エネルギーへの移行が理想です。しかし、再エネだけで原発の代替をすぐに担えるかと言えば、それもまた現実的ではありません。

しかしながら、南海トラフ地震のリスクが叫ばれる中、原発に対する国民の不安は極めて自然な感情です。そのため私の個人的な意見としては、「既存の原発は、安全性を徹底した上で使える間は活用しつつ、新たな原発の増設は控える」という選択が現実的だと考えています。


ここで注目すべきは、「原子力発電所は動かさなくても、安全管理が必要であり、コストがかかる」という事実です。現在停止中の原発しか保有していない日本原子力発電の例を見てもわかる通り、発電していない原発でも、放射性物質を扱っている以上は厳重な管理が求められます。発電をしていないくとも冷却装置の維持、監視体制の継続、老朽化した設備の保守費用などを電力会社はコストとして認め、その費用を支払っているのです。単に「止めればお金がかからない」というわけではありません。


さらに言えば、完全に廃炉にするにはさらに巨額のコストと長い時間がかかります。その現実を踏まえれば、当面は既存の発電所を安全を最優先に稼働させながら、再生エネルギーの拡充を並行して進めるのが、最も現実的で持続可能なエネルギー政策だと私は考えています。


原子力発電のPRには、社会的、経済的、倫理的に語るべきことがたくさんあります。一度では書ききれないテーマなので、今後このブログで少しずつ掘り下げていきたいと思います。

 
 

著者・橘川徳夫 プロフィール

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中央大学経済学部卒業。大学時代は、落語研究会に所属するほどの話好き(うるさいというのが周りの評価?)。座右の銘は「無知の知」。大学卒業後、電力会社や生命保険会社での勤務を経て、2001年ウインダムに入社。過去の様々な業務経験を活かして、PR業務に携わってきた。

落語研究会で養った自由な発想をもとに、様々なPRやマーケティング企画を立案。業務を通して蓄積した広範な業務知識をベースに、独自のPRコンサルティングがクライアントに好評を博している。趣味はランニングと読書。本から新たな知識を見つけたり、ランニング中にアイデアを思い浮かべる。

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