【PRコラム】原子力発電のPRに思うこと(その9)
- 徳夫 橘川

- 2 日前
- 読了時間: 3分
原子力PRの難しさ──「事故」をどう語るか
前回のコラムでは、原子力の推進派も反対派もあまり多くを語りたがらない問題として、いわゆるバックエンド、つまり核のゴミの問題について触れました。今回はそれとは少し違い、主に推進派側が直面する問題について考えてみたいと思います。
それは、原子力発電所における「事故」の問題です。
事故というと非常に大きな出来事を想像しがちですが、実際にはもう少し広い意味で考える必要があります。機械というものは長く使えば部品が消耗し、故障が起こる可能性もあります。
原子力発電所ではそうした事態を防ぐため、定期点検を行い、部品の交換や修繕などを徹底しています。それでも、運転中にトラブルが起きる可能性を完全にゼロにすることはできません。
問題は、そのときの情報発信のあり方です。
電力会社はこれまで、原子力発電所の安全性を強く訴えてきました。その結果、「事故は起きない」という印象を社会に与えてきた面があります。
しかし、もし小さなトラブルが起きた場合、どうしてもこれまでの発言との整合性が問われます。そのため発表が遅れたり、場合によっては隠してしまうような事態が起こることがあります。
事故が起きれば反対派は「やはり安全ではない」と主張します。推進側はそれに対して弁明的な説明をすることになり、「問題のない事象である」という説明が中心になります。
結果として、反対派の主張の印象が強く残ってしまうことになります。
PRの観点で見ると、ここには大きな非対称があります。
反対派は、仮に誤った情報を発信したとしても、「電力会社や政府が情報公開をしていないからだ」という形で論点を転換することが可能です。
しかし推進派はそうはいきません。誤った情報を発信すれば、それ自体が大きな問題になります。
そのため情報発信には慎重にならざるを得ず、結果として発信が遅れ、「事故隠しではないか」と批判される構図になりやすいのです。
つまり、事故やトラブルが起きたとき、推進派はどうしても後手に回りやすい構造にあります。
この問題の根本には、「絶対安全」という言葉があります。
絶対安全を前提にしてしまうと、トラブルが起きた瞬間に、これまでの説明と矛盾が生じます。それが議論をさらに複雑にしてしまいます。
現実的には、事故の可能性を完全にゼロにすることはできません。であれば、説明の前提を変える必要があるのではないでしょうか。
つまり、「事故は起こり得る。しかし、それを防ぎ、被害を最小化するための安全システムが備わっている」という説明です。
実際、原子力関連の会見では、「安全装置が作動したため、放射能の漏えいはなかった」という説明がよく聞かれます。
事故の可能性を認めつつ、大きな事故につながらない設計になっているという説明の方が、反対派の主張にも対応しやすいように思えます。
とはいえ、この考え方がそのまま受け入れられるかというと簡単ではありません。
福島の事故が起きてしまった以上、「事故は起こり得るが問題ない」という説明を国民がすぐに受け入れるとは限らないからです。実際に国民生活に大きな影響を与えた事故を経験している以上、不安は簡単には消えません。
そのため、推進派は安全性を強調しすぎても疑念を持たれ、現実的な説明をすれば不安を強めてしまうという、非常に難しい立場に置かれています。
原子力をめぐる議論は、単なる技術の問題ではなく、信頼と情報発信の問題でもあります。そしてまさにその点こそが、原子力のPRを進めるうえで最も難しい課題になっているのではないかと感じています。


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